マジで取り組む5年後に

はいどうも広末です!!!!!

まあ違いますけどね。ついさっきまでHTMLを編集してました。そう、夜霧よ今夜も有難う跡地のことだな。跡地っていうのを作りたいなーって結構前から(確か去年の今頃)思っていたんですけど、どうもやる気が起きなくて。それで先ほど一念発起してやったと。やったぜ。

それに伴ってHTMLを見ていましたら、まあ目が疲れること。ブルーライトカットメガネとかないんで、普通のメガネで画面見ながら編集してましたけれども、もしもこの疲れがないというのであればブルーライトカットのメガネ買ったっていいんですよ。本当に快適なのかって疑ってかかってしまうんですよね。やっぱり今までも嘘を吐かれたり、裏切られたりしてきましたからね。人間不信ですから。そんな人間不信の俺が「これ、いいよ! おすすめ!」とか言われても一年くらい様子見た挙句、結果として購入しないという判断を下すほかないんだけど。

そんなわけで広末涼子ですけどね(違うけどね)、天使みたいにかわいいと噂されていますが裏では結構えげつないことやってますけどもね。跡地。そう跡地。別になんか特別なことは一切してないんですが、10年ぶりにHTMLを直接触ったこともあって下手くそにはなっていますよ。やっぱり。とにかくブログサービスは超楽でいいなって再認識した。昔は俺の好きなサイト管理人さんが言ってたけどWindowsのメモ帳ってアプリでHTML書いてサイト運営してた人もいるわけですよ。当時も「じぇじぇ!」って思ったけど、今だったら「じぇじぇじぇ!」ってなるわな。

跡地には感謝をこめて、昔のままのリンク集を貼り付けてみました。これは「迷惑だからやめろ」という人もいる可能性があるので結構迷ったんですけど貼りました。最悪、どうしても俺に文句があったとしてもブログのコメントに書いてくれれば、そのサイト名とリンクの記述は削除するという対応をさせてもらおうかなと思います。

ところで感謝って何の感謝なんだって思われそうなんで、一応書いておきますが、昔お世話になったサイトの全てではないと思うんですけど、やっぱりみんなが居たから俺もやってたということもあります。みんながやってなければ、俺はやってなかったんだよね。大好きなサイトたちに愛と感謝をこめているわけだよ。

それでも未だにサイトを続けている人たちには尊敬の念を送らざるを得ないというか、みんなかっこいいよね。俺もそんな風になりたいと思ったりもしたけど、やっぱり俺には無理だ。飽きっぽい性格、そして慢性化したやる気が出ない病気、こういったものがある以上はレジェンドにはなれないよ。

インターネットの世界は盛者必衰ということはあまりないようで、昔から大手と言われていたサイトに関しては相変わらずのアクセスがあるようです。知名度も半端ではないし、これからも閲覧者が増え続けることを願います。ただ、界隈みたいな括りで話すとやっぱり日記系は軒並み更新止まったり、すでにページがなかったりしておりました。悲しいことだね。だけど、やっぱり俺たちは時間軸の下で暮らしているわけだから、いろんなことがあるよな。そうするとサイトやっている時間もなくなるし、サイトより大切なもの、楽しいものが手に入ることもある。夢中になっていることが新しいものになることは悪いことではない。

俺はやっぱり、ときどきこうやって雑にいろんなこと書ける場所が必要だって思ったから、今もこうしてダサいサイト名を引き継いでやっている。これだって本当は何度も新しい名前にしようとしたけどさ、もう面倒なんだよ。だからなるべく付かず離れずみたいなスタンスでやれる名前だし、今のところはこれがベストだと思っている。

最近は更新頻度が高くなったり低くなったりの繰り返しになっているけど、たまに見てくれる人がいたら嬉しいなくらいに思ってこれからもやっていくかな。

夜霧よ今夜も有難う跡地

年の瀬

本年も残りわずかとなっておりますが、皆様におかれましては益々ご健勝のことと思います。どうでもいいよ。おならプーだよ。お知らせみたいな感じで入ったけど、全く内容も考えないで始まったよこの記事。とりあえずみんなは何しているのかなって思ってさ。俺はさ、はっきり言うけど仕事もしないでゲームしてたからね。仕事はほとんどしてない。ファイナルファンタジー5やってたからね。マジですんげー面白いゲームだからびっくりしたよ。是非みんなもこれから冬休みとかあるかも知れないから、その際ヒマだナーとか思ったらやってみて。

だからさ、俺も少し考えこんじゃって。ゲームしている時間も俺の大切な時間。寿命なんだよね。パチンコで時速3万円で金使っているのも実は寿命なんだよね。ちなみにパチンコではなくてパチスロなら時速3万円出来るね。ミリオンゴッドとかなら。朝イチ台のリセット天井まで。地獄だね。まあそれよりも考えることはその時間があればもっとお金稼げるんじゃねえのってことです。

2013年くらいからユーチューバーみたいな人口がじわじわと増えました。それによって伴うクソ動画やマナー問題等々はこの際はどうでもよくって、それよりもプラスに作用した感じがある人もたくさんいるでしょう。俺に関していえば楽しい動画がタダで見れるから嬉しいし、広告収入のことがあるから作ってる側もYouTubeも嬉しい。ウィンウィンの関係ってやつですね。ウィンウィンってなーんかいやらしく感じちゃうのは千歌だけかな……(急に高海千歌化)

まあそんなわけで俺もゲームに実況とかつけてさ、やってみてもいいんだよね。ただし、それをやるってことは外界というか俺の思惑の外にいる人間と触れ合う必要性が出てくるわけですよ。小学生とかね。チンコに毛も生えてないようなドガキに文句言われたりしたらおじさん自殺せざるを得ないでしょう。無理無理!! 絶対無理だよ!

内なる宇宙。インナースペースにおいては俺が一番であるからして、やはり俺は一人でゲームをやることが一番楽しく思う。たまに動画も見るかも知れないけど、コメントなんて一切しないからね。人とふれあいたくないんだから。特にインターネットならまだしも最近はノロウィルスとか近年稀に見る型とかで危険とか言ってますからね、現実世界でも人とふれあいたくないんだから。

ただ、そんな風に思っていても人肌恋しいときもあるから風俗とか行っちゃうかー!とかなるわけですよ。でも、そんなところ行ったら別のモノにも感染する可能性が出てきますからね。そうなると金が風俗代と病院代、ダブルパンチ! 死んじゃう。リアルに野垂れ死ぬ。現代の藤澤清造とか言われても困るんだから、嫌だよ。

みんなは何しているか、これは俺なりの社交辞令だったもんですからね。とりあえず俺はゲームしてたから。あとツムツムもやってます! ってそれもゲームじゃねーか!! お後がよろしいようで…(あまり納得はしてないオチ)

苦悩するおじさん

昔は俺よりおじさんしかインターネットにはいなかったと思うんだけど、いつの間にか俺がおじさんになっているという悲しさがあふれてとまらないんですが、そんなおじさん、悩んでおります。

先ほどの記事にも書いた通りに、「はてなブログ、エロは駄目問題」が勃発してしまいましたので新しくエロもやって良しというカテゴライズの下、新しいブログを作るべきかどうか非常に悩んでおります。というのも作るだけなら5分くらいで新しく出来るのですが、更新頻度は速度制限を受けたスマートフォン並みですからね、こんなひとつの記事をきっかけに作る必要性があるかってことなんですよ。ただでさえ、膨らみすぎたインターネットにおいて、アカウントの整理ひとつするだけでも面倒なのに、どうしろっていうんだよ。

ただ、新しく始めるとなるとある程度更新するんですよ、最初は。うん、やっぱり最初のうちだけなんですよね。そう考えるとやっぱり作るのはどうなんだろうと思ってしまう。しかしながら、どうせならはてなやめちゃうっていうのもありかなとかね、少し思ってはいます。健全なものだけを扱うわけには行かないサイトだったわけだから、それなら……とか思うんですよね。

それでも悩むのは18禁カテゴリの内容を延々と扱うわけではない、ということがあります。もはやエロゲーとかやる暇もないし金もありません。興味も薄れつつあり、二次エロ画像を見たり、青年コミックをたまに読む程度の状態でそういったブログを作ることは自分の首を絞めるに等しいと思います。

そもそも日記サイトに思考を囚われ、時間をドブに捨てているというのもなんだか悲しい現実でもあります。もっとお金になることやったほうが良いし、読まれても1ミリも面白くない記事だからね。そんなわけでオナニーして寝まーす!!

お夕飯はまだかい?

先ほど一生懸命に記事を書いていたのですが、はてなブログというところでふと「このような記事は掲載して良いのだろうか?」と思ったわけです。このような記事というのは要するにエロ関係、18禁の内容。しかも画像付き。これはどうなんだろうと。

で、調べてみるとやはり画像はアウトっぽいのです。文章で表現することは問題ないそうなのですが、文章でなんとかなる記事じゃなかった。ということで俺の約30分は無駄となりました。お疲れちゃん。

輝きたい

必死になって輝くことが出来るのなら、俺だって必死になるだろう。しかし、そんな簡単なことではない。「輝いている」と人からの評価が必要だからだ。必死になっているのを俺が傍から見たら「あの人、必死だなぁ」と思うのだ。「あの人、輝いている!」そう思うことはないのだ。理論立てて、順序に沿っていくと、必死に頑張った結果→輝いた! ではなくて必死に頑張った結果→必死やんwww こんな感じやん。

自分と誰かを比較してみると、あっという間に気分は落ち込む。友達がいる人は特に同級生とかが良いんだけど、自分と比べて友達はかわいい奥さんをもらったとか、女子大生と付き合っているとか、そんな感じのことがもしあったらどう思う。つまるところ自分にはないことがあいつにはあるという事実。落ち込むよね。牛骨ラーメンにゆでたまごが二つ浮いているはずなのに、俺のは一つしか浮いてないんだよね。

言葉と行動で全て決まるわけではないが、人からの評価はそういった具体的なものにしか付随されない。家で一生懸命仕事の資料を作っているけど、会社では余裕っぽく過ごしている、そんな場合は大抵の人から「暇そうだね」と思われる。「やることないなら手伝ってよ!」とか少し悪意めいた気持ちで見られているかも知れない。良くないことだと思う。会社でやれなかったことを家に持ち帰ってやっているだけ、なんて思っていたのにそうじゃなかった。

話は輝くことに戻る。輝いているのは何か。心か、見た目か、人生か。今が最高だと転がっていく精神か。いろんな世界を見なさい。世界を見下ろすとこんなに世界は小さい。しかし、その中でもすごく小さいコミュニティの中で俺たちは生きていくしか、ほとんどの場合はない。それでも思うのは輝きたいと声に出してみたとき、俺の瞳は輝いていたんだよ。

そんなもっともっと小さな俺の瞳が輝いていたんだよ。

輝きたいと思うこと、これが重要。輝いている人は「輝きたい!」って言ってないかも知れないけどね。

そういう風になっている

面倒なことが山積みになっている。それは俺がやらなきゃいけないことをやってこなかったからだ。いわゆるツケが回っているという状態。

ただし、やらなきゃいけないことというのは大抵やりたくないことなので、ここに至っているのは必然と言える。そういう風になっている。

家賃を以前から溜める悪癖が俺にはあったのだけど、少し前に全部支払った。それはやらなきゃいけないことだったから。もしも、大家が「いいよ、また今度で!」と言ってくれていたら、俺はその言葉に甘えて支払ってはいなかっただろう。しかし、大家は俺に払わないなら出て行けと横暴なことを言うので支払ってやった。

プロパンガス、高い。こんな法外な価格で提供するライフラインがどこにあるというのか。あまりにも高すぎるので、こちらもしばらくの間支払わなかった。そうするとガスを止めると言うので、ガスが使えないとなると俺は風呂に入ることが出来なくなってしまう。生来の風呂好きとしてはこれはいけないと思い、ついにこの間全部支払ってやった。

電気料金というものがあるらしく、それを支払うことで電気が使えるという。根っからの電気好きの俺は驚いた。電気料金を俺は支払うことを忘れていたのだ。玄関の扉を開け、部屋に入る。無音状態だときっと電気が止まっている。止まっていなかった。良かった。これもこの間仕方なく支払ってやった。

水道料金はたまにやってくる。それは大した金額ではないので支払ってやった。そういう風になっている。

ライフラインという言葉がさっきも出てきたが、生きているということは常に金を使うことだ。だから、本当はみんな俺が生きていないのならば暮らしていけないのだ。それなのに俺を、やれ出て行けとか、やれ電気をガスを止めてやるだとか、一生懸命に殺そうとしてくる。ライフラインを断つということは死んでもらって結構だという意思の表れである。

俺が死んでも代わりはいるとでも思っているのだろう。そんな馬鹿なことはない。俺は俺しかいないんだから。そういう風になっている。

貧困とはこういうことである。ライフラインを断たれないように働いて、身動きが取れないようにされる。好きなことなんて何も出来なくされる。好きな人と結婚して、子供を作ることだって出来ない。養うことなんて出来ないんだから。

こういう人たちがたくさんいる。若い世代を支援することをもっと重要視しないとこの国はとっとと終わるだろう。俺以外にも、昨日かも知れないし明日かも知れないし、いつだってライフラインを断たれる人がいるんだ。社会とか政治のせいにするのは嫌いだが、これからの若者の選択肢を狭めるのはもうやめるべき。

支援するべき、投資するべき。未来に向けて、何かやるべき。何か文字を書く度に俺にブーメランが突き刺さるような感触があるのは気のせいではない。そういう風になっている。

オートリバース

何を思ったのか、突然はてなダイアリーから引っ越しをして、またやっている。これは一体どういうことなのか。あのときの俺の考えがよくわからない。ダイアリーに居座っていれば良いのに。ブログに引っ越しをするメリットがその時にはあったということなんだろうが、やっぱり理解出来ない。

今は総世代インターネット時代だ。何を言っているのかわからないと思うがインターネットにどんな人もいるということだ。昔は、少なくとも俺が中学生くらいのときはインターネットをやっているということは結構「すごい」ことだった。Windows95というOSを使って、ダイヤル回線を使って、膨大な時間をかけてポルノサイトを閲覧するというのが大人だった。一枚のjpegが表示されるのにカップラーメンは出来上がる時代。そんな時代からあっという間だった。インターネットは今やみんなのものになった。本当の意味でみんなのものになったのだ。

それこそ中学生のときの俺が好きだった人がインターネットをやるなんていう考えはなかった。もしかすると俺のサイトを今、なんらかの方法で知って見たとする。恐ろしい。きっと気持ち悪がられる。そうに決まっている。俺の偏って、気持ちの悪い考えを書き連ねるゴミブログを見て辟易するに違いない。そういう恐怖がもう迫っているってことに気付くべき。インターネットをみんなのものにしたのは間違いだったかも知れないと反省するべき。

簡単なのが手に負えない。簡単にインターネットに接続出来てしまう。スマートフォンを買ったときから彼も彼女もインターネットの一部として動き始めている。「へー、こんなこと出来るんだ」みたいにツイッターフェイスブック、タンブラーにはてな、「O.K.Google」に「Hey Siri」ときたもんだ。こうなると俺はおしまいだ。親しい友人が4WDというハンドルネームで俺がインターネットにいち早く参加してゴミみたいなサイトをやっていたことを吹聴して回るんだ。みんなが知ってしまうんだ。もう死ぬんだ。きっとそうするしかない。

ああ、逆に考えるとすごくポジティブにも捉えられるよね。例えば俺が超絶イケメンで(そんなことは決して、断じてないが)、中学生のときに好きだった女の子に連絡を出来るチャンスがあったのなら、まあこの場合はツイッターフェイスブックが使われるのだと思うけど、なんとかコンタクトを取って、なんらかのお誘いをすることが出来る。そしてイケメンなんだから、その女子もコロっといっちゃうわけですよね。まあイケメンじゃないんだけど。

間違った人生だったのかも知れない。こんなことになるのなら最初からインターネットでの活動は控えるべきだったし、仮にインターネットでこうして文章を書くにしても、もう少しちゃんとしたものを書いてくればよかった。数多くのインターネット本の中の一冊に俺のサイト名が書かれているものがあるが、たった一冊だ。本当によかった。俺のゴミサイトが大ヒットしなくてよかった。今も侍魂というサイトがたまには世の中に出てくるだろうが、「夜霧よ今夜も有難う」というサイトがあったということは一年に一回も出てこないだろう。これはラッキーだった。しかし、まだ活動しているということは危険。目隠ししながら綱渡りをしているような状況。すっげー危険だよ。「感覚を頼りに」じゃないよ。最初からお前のその感覚がおかしいことにどうして気付かないんだ!

俺の友達はきっと今、現在の暮らしはうまくいっているんだろうと思う。だからこそインターネットになんかすがらない。インターネット、今の時代を考えると「旧インターネット」とでも言ったほうが良いのかも知れない。ハンドルネームを使って、自分の好きなことだけに焦点を当て続けることはもはや旧いことなんだろう。そんなものにすがっているのはもう俺しかいない。それかはてな匿名ダイアリーとかそれくらい。少なくとも、もう俺はすがることしか出来ない。

これ以上生き恥を晒すことはない。もうサイトを全て畳もうと去年の今頃思っていたはずだったのだけど、それって「死」を感じたんだよ。だから俺は未だにこのブログをやっている。更新頻度は高くないが、それでもやっている。自分で自分の存在を消す、「自殺」に近いことが俺にはやっぱり出来なかった。死にたくないから生きている。これはやっぱり死を間近にしたやつにしかわからない感覚。周りに卑下されてもやっぱり生きていたい。そう思っちゃったんだろうな。

インターネットは時代を変えたので、時代の流れに合わせて俺も変わらないといけない。それを俺はずっと前からわかっていたのにずっと出来ていない。やっぱりこれはあの頃のインターネットが俺にとっての居場所で居心地の良いところだったということになる。あの頃なんて絶対にやってこないし、時間は巻き戻せない。ストップボタンのないテープレコーダーは再生されたのなら終わりまで同じ速度で回り続ける。人生とはそういうものだから、だからこそすがっているんだろう。テープの終わりまで回り続けている、オートリバースはないので、そこでおしまい。燻っている時間も俺の寿命だということに気付いている。全部わかっている。全部止まらない。全部終わりに向かって進んでいる。