そういう風になっている

面倒なことが山積みになっている。それは俺がやらなきゃいけないことをやってこなかったからだ。いわゆるツケが回っているという状態。

ただし、やらなきゃいけないことというのは大抵やりたくないことなので、ここに至っているのは必然と言える。そういう風になっている。

家賃を以前から溜める悪癖が俺にはあったのだけど、少し前に全部支払った。それはやらなきゃいけないことだったから。もしも、大家が「いいよ、また今度で!」と言ってくれていたら、俺はその言葉に甘えて支払ってはいなかっただろう。しかし、大家は俺に払わないなら出て行けと横暴なことを言うので支払ってやった。

プロパンガス、高い。こんな法外な価格で提供するライフラインがどこにあるというのか。あまりにも高すぎるので、こちらもしばらくの間支払わなかった。そうするとガスを止めると言うので、ガスが使えないとなると俺は風呂に入ることが出来なくなってしまう。生来の風呂好きとしてはこれはいけないと思い、ついにこの間全部支払ってやった。

電気料金というものがあるらしく、それを支払うことで電気が使えるという。根っからの電気好きの俺は驚いた。電気料金を俺は支払うことを忘れていたのだ。玄関の扉を開け、部屋に入る。無音状態だときっと電気が止まっている。止まっていなかった。良かった。これもこの間仕方なく支払ってやった。

水道料金はたまにやってくる。それは大した金額ではないので支払ってやった。そういう風になっている。

ライフラインという言葉がさっきも出てきたが、生きているということは常に金を使うことだ。だから、本当はみんな俺が生きていないのならば暮らしていけないのだ。それなのに俺を、やれ出て行けとか、やれ電気をガスを止めてやるだとか、一生懸命に殺そうとしてくる。ライフラインを断つということは死んでもらって結構だという意思の表れである。

俺が死んでも代わりはいるとでも思っているのだろう。そんな馬鹿なことはない。俺は俺しかいないんだから。そういう風になっている。

貧困とはこういうことである。ライフラインを断たれないように働いて、身動きが取れないようにされる。好きなことなんて何も出来なくされる。好きな人と結婚して、子供を作ることだって出来ない。養うことなんて出来ないんだから。

こういう人たちがたくさんいる。若い世代を支援することをもっと重要視しないとこの国はとっとと終わるだろう。俺以外にも、昨日かも知れないし明日かも知れないし、いつだってライフラインを断たれる人がいるんだ。社会とか政治のせいにするのは嫌いだが、これからの若者の選択肢を狭めるのはもうやめるべき。

支援するべき、投資するべき。未来に向けて、何かやるべき。何か文字を書く度に俺にブーメランが突き刺さるような感触があるのは気のせいではない。そういう風になっている。