トランペットが人生の分岐点
俺は昔から運が悪いほうではないと思い込んでいた。しかし、最近は俺はついていない人間だ、とずっと思っている。
まず、俺という存在が発生したのが周りの人間にとっての不利益になるとは20年以上前にはわからなかっただろう。だけどしっかりと今は迷惑な存在として君臨している。
俺がこうなったのは俺だけの責任なのか、そんなわけはない。人間というものは生まれてきてから、周りの環境や遺伝子、色々あって人格が形成されるものだ。その色々というのは絶対に俺だけのせいではない。親が悪いというわけではない。あのとき俺が説得できなかったのが悪い。
俺は小学2年生のときに親にねだったものがある。買ってほしいとお願いしたが、買ってもらえなかった。それは何か。トランペットだった。黒人の少年がショーウィンドウの中にあるトランペットをガラスに手をついて見ていた、みたいな話がよくあるが、その話の黒人の少年を白豚みたいな少年に置き換えるだけで俺のリアルストーリーになります。
俺は親を説得して、なんとかトランペットを手に入れたかった。そして当時の憧れであったトランペッター桑マンになりたかった。
しかし、どうせこいつにこんなものを買って与えたところで何にもならないだろうと思われて却下されてしまった。おそらくもっとちゃんとしたジャズのトランペット奏者を例に出しておけばなんとかなった気もするが、それも今となっては後の祭り。桑マンはほとんどバカ殿のじい役に専念していたし。
あのときに本当にこれは思っていることなんだけど、トランペットを俺に与えていたらきっと良い結果が待っていたと思う。なぜなら、中学生くらいから途切れることなく、冷めることなく続いていることは唯の一つ、音楽しかないのだ。
俺は今も金にならない音楽を作りながら生きている。もしもあのときにトランペットを買い与えられていたら…そんなことを思いながら俺は暮らしている。今の自分を否定するしか上昇する道はないのでしょうか。悲しい。
俺は親に褒められたいし、彼女にもプロポーズしたい。そして幸せになりたい。だけどこの体たらくでは何も進まない。もうブログなんてやめるしかないんじゃないか。というか、もう少しやる気のあるブログを始めたほうが良いんじゃないか。
そもそもいつまで俺は夜霧を背負っているのか。夜霧で仕事依頼が来るなら考えるけど、来ないしもう面白くもなんともないし、マジで。アーカイブとか読んだらびっくりしたよ。こんなゴミみたいな文章でよく毎日100〜200人くらい見に来てたなと。
夜霧完全終了までの幕は切って落とされましたね。
君は全財産が小銭になったことがあるか
年齢がそれなりになってくると、それなりにお金がかかることが多くなる。保険料や車の維持費、家賃やらなんやら。
俺は色々なお金がかかるようになってしまった昨今でも全財産が500円ちょっと、なんてことが多々ある。その500円でなんとか次の給料まで凌ぐことに全力を尽くす。食べたいものがあってもお茶漬けを食べ続けたり、本当に白飯にお茶をかけるだけのこともある。
幸せな生活がこの生活のあとに待っているというようには思えないが、いつかはきっと花開くときがやってくるような気がしている。むしろそんな風に思わないと生きていけない。
そんな風な考えを持っていれば死なずに済むが、小銭を数える日々を過ごし続けると人は命を絶ちたくなるのだろう。
俺は死のうと思ったことはないが、死んでしまったほうがきっと今は楽なんだろうとは思う。ただ、今後「生きてて良かった!」と思えるときがあるかも知れない。
その日が来るまで俺は待とう。自らを行動に移す必要もあるのかも知れない。だが待とう。継続は力なり。それを証明した人を俺は知っている。
努力なんてのは大嫌いだが、やっぱり努力なしではたどり着けない場所があるということも俺は知っている。
それなりに努力しよう。幸せを待ちながらも少しだけ努力して生きていこう。それでいいんじゃないっすかね。ええ。
価値のある文章とは
自分のブログに関しては価値があるかどうか、少し考えただけでわかってしまう。このブログに掲載されている文章には価値がない。
俺は価値がある文章というのを、大衆的な文章とは言えないと思う。俺にとっての価値がある文章やウェブコンテンツに大衆性があるとは思えないからだ。
俺の好きなウェブコンテンツの一つとしてあるのが、今となってはおじさんの機材紹介ホームページというものがある。使用機材というのは音楽関係のもので、ビンテージとして高値で取引されているような機材は全くなく、それでも次々に写真と共に説明や使い心地などの文章が添えられている。
これを大衆的に見れば価値のある文章となるだろうか。普通であればならない。ただし、俺はやっぱりそういうのが楽しくてしょうがない。
俺はどちらかというと若い世代のブログは気合が入っていたりするのであまり読みたくならない。たまに独自の見解がちゃんとあって、読んでいて苦痛にならないものもあるが、そういうのはほとんどプロの仕事だ。
ザ・アマチュアという感じの「ホームページ」という感じのものこそが俺にとっての面白いウェブコンテンツであり価値のあるものなのだ。
これからもどんどん「ホームページ」を作っていってもらいたい。俺の、今となってはおじさんの、密かな楽しみなのだ。
思い出よりも今が重要だよね
悪いことばっかりが続く。お金がないのにも関わらず、サーバー料金を払ってくださいという催促のメールが届いたり借金の催促がやってきたりと本当に良くない。
俺は金がないのには慣れているが、生活レベルを下げることは苦手である。そもそも今の段階で相当低い生活レベルであるという自負がある。
良くないことが続くと負のスパイラルと呼ばれる本当ならうまくいくようなことでも全くダメになってしまったりもする。その負のスパイラルが始まっていることに俺は気付いた。
ずっと歯に挟まっているのだ。
多分、長ネギだろうと思う。歯の隙間にずっと挟まっているのだ。これはどうやっても取れない。歯磨きをしても取れない。
きっと唾液で自動的に溶けるのを待つしかないのだろう。でも、結構気になるくらいの長さがある物を口の中で溶けるのを待つというのは中々気持ちの良いことではない。
これを打破することを考えて何か行動に移したときに、またも良くないことが起きる可能性があることを考えると行動に移すことは出来ない。
これが負のスパイラルなのだ。
何の気なしにやろうと思っていることでさえやれなくなってしまう。
全ては時間が解決してくれるのだ。だから俺はずっと待っているのだ。奥歯の隙間にあるこの長ネギが溶けるのを。
困った
何が一体困ったのかというと、俺は今Bluetoothの接続で動くことが出来るキーボードを使いこのブログを今更新しようとしているところなのだ。
しかし、残念なことに英数キーやかなキーなどない。それはすなわち、見ながら入力するという当たり前の入力方法が使えないということになってしまう。
そもそもこのキーボード自体使いづらくて本当にキレそう。なんでこんなの買っちゃったんだろう。あの時の自分はお店で実際に触ってみて考えようとか言って、実際に触ったじゃん。結果「うん、使いやすい!」だって。使いづらいわい!わい、わい、わい、わぃ…(エコー)
そしてまた面倒なことがわかった。はてなブログのアプリを使うと予測変換のバーが非常に執筆に邪魔となる。やはりこういう部分でも長い文章を物理キーボードなら書けるというわけではないとわかった。それでも俺は無理矢理にでも書くしかない。それには理由がある。
いつも使っているパソコンが故障してしまう憂き目にあってしまった。そのために高級品であるiPadなぞももっていない俺は仕方なしにiPhoneにBluetoothで接続したキーボードでこうして書いているのだ。
こういうときに思うことはいつも決まっていて、パソコンは一台では不安だということ。かと言ってパソコンを何台も持つほどの財力は一切ない。
だからこそ俺はお金を稼ぎたいと思う。パソコンさえあればなんでも出来るとまでは言いません。しかしながらパソコンがあればこうしてブログを書くことが簡単にできますからね。
2000円23回
前よりももっと! もっと回らない!!
どうもまわるんパチンコ改め、ぺろりんオチンコでーす!!!!!
この世は地獄だよ。