掃除をするやつ、しないやつ

掃除をするのが大好きな人間であった。俺は元来、綺麗好きである。むしろ少しだが、潔癖のような気さえする。潔癖の始まりはトラウマがあってこそ。そのトラウマとは虎がもたらした物ではなく、もちろん馬がもたらしたものでもない。犬がもたらしたのだ。

犬は外で生活をしていた。野良ではない。うちで飼っていたのだ。かわいらしい柴犬。小さいときは本当に小さくてかわいくてどうしようもなかったが、次第に成犬となり普通の大きさになってしまいがっかりだった。子供ながらにがっかりしていることを犬には悟られまいと、一生懸命に愛情を注いだ。結果、顔を舐められ、そしてその可愛がった手で俺はおにぎりを食べた。その翌日には高熱と嘔吐という「なんらかのウィルス」にやられたんだろうなという状態に陥る。

死ぬかと思った。しかし死ななかった分、トラウマとなる。動物に触ったあとは完膚なきまで手を洗い消毒する。こんなのは序の口で、愛する女との情事のあともしっかりとうがいと手洗いを欠かさない。これは俺にとっては当然のことなのだ。もしもまた翌日になって高熱と嘔吐、下痢、上からも下からもみたいなことにはなりたくない。予防という言葉がこれに当てはまる。

掃除を常にして清潔を保った俺の部屋は素敵だ。どんなところで寝転がっても平気だ。綺麗だから。そんな時代が終わった。汚部屋時代がやってきた。荒れ放題の俺の部屋。ベッドでしか寝れないのにも関わらずベッドの上にはシンセサイザー。二千円くらいで買ったYAMAHA B200だった。これぞGetWildであった。

そんな過去から現代へ、今はどうかというと中途半端な状態がずっと続いている。掃除時代は苦ではなくて、むしろ積極的にやろうとは思っている。ただ、思っているだけでやる気があるわけではないので部屋は自動的に汚れていく。「あー、部屋綺麗にしたいな!!」という俺の大きな声だけがいつまでも響くこの部屋で俺は掃除するやつからしないやつになった。これからも生きていく。これからも部屋と共に俺は汚れていく。