君だけじゃないんだよ



僕の周りにかわいそうな人が大勢集まった

君もおいで 君だけじゃないんだよ



RCサクセション 君もおいで

これを聴いたのは高校生のときだった。そしてこれを作った忌野清志郎の当時の年齢が俺に近いことを知ると俺はとても敵わないと思った。どんな風な感性でこれを作ったのだろうと考えてみてもやっぱり清志郎の目から見るとそんな風に周りが、周りというよりは「世間」という社会をそんな風に表現したのだろうか。

俺は高校生がとっくの昔に終わっており、今や成人して高校の頃に一緒に時間を過ごした人たちとは連絡も取らないし、会うことも決してない。俺は当時から世の中を知っている風で生きてきた所為もあるのかも知れないが、全部に飽きてしまったのだ。

最近、すっかり定着した言葉で「中二病」という言葉がある。俺にとってそういう時代はなかったと思う。どちらかと言えば俺は早熟だったし、冷めていた。何をしてもつまらないし退屈だった。

俺の音楽に対してここまでののめり込みぶりを見せた理由としては「説明出来ることではない、感じることだけでしかわかることが出来ない」という部分があるからなんだろうと思う。もしも音楽がこういう風にすればこんな表現方法ですからね、なんてマニュアル通りにやれば済むようなものだったらやっぱり俺はつまらないものだと吐き捨てたろう。それがそうではなかった。すごく救われた。

今はあんまり良い音楽を見つけることが出来ない。それはなんでだろうかと悩む。ラジオを積極的に聴いているが一日聴いていても「いいな!」と思う曲は2〜3曲くらいしかない。悲しい。それだけあれば良いと思う人もいるが俺にはもっと知りたい気持ちがある。良い音楽をもっと知りたい。俺のアンテナが、この感度がダメという可能性もあるにはあるが、高校生の頃、俺は「がむしゃら」という画像掲示板にある音楽板を毎日というよりも暇があれば覗いていた。

おじさんたちが良い音楽を教えてくれるのだ。アングラなものから昔のポップスまで。とにかく俺はあの掲示板にいた連中には感謝せざるを得ないのだ。

機械や音楽に詳しいおじさんになってこどもたちにいつか教えることが出来れば、俺の幸せはある意味では完結したのではないかと思う。そのためにもあれは音楽も知りたいし、勉強もしたい。ブログを書いている時間はあるんだ。俺の脳みそをリラックスさせる効果がある。誰も見ていないインターネットの端っこで文章が人知れず増えて行く。それが何層にも何層にも積み重なって、どうにもならない。積み重なり続けるだけで形も変わらないし、何にもならない。それを見つめるのが楽しいわけではないが、そういうものも好きではある。

何も構成も考えずにこうして文章を書くことが俺はとても好きだ。あとで見返すと変な部分がたくさん見つかるが、俺は放っておく。積み重ねるだけで良いのだ。