タイトルなんていちいち付けてられるか!という気持ちをもったことのあるブロガーがたくさんいるよ

俺もそのうちの一人だよ。こんにちは。元気いっぱい4WDです。わーい! うんこうんこ! 早速だけど人生を大きく間違ってしまったらしく、俺は今からでも遅くないんだよということを実現してみたいと思っています。

とは言うものの、実際に何をどうして実現しようかということも悩みの種。俺は一体何者なんだ。俺は俺自身を知らなければならぬ。しかし知らぬ。これは非常に悩ましい事案でこうしてブログを書いたり、色々なことに手を出してきたが続いているものといえば何一つないと言っても良い。

常々、作品として形を残していないが音楽には触れているし、作ってもいるのだが、これは本当にもどかしい悩みである。なぜなら「作品として残す方法」がない。俺はずっと音楽をちゃんと作ろうと試行錯誤して生きているのです。しかしお金がないというただひとつの理由で残せていない。もしもお金がたくさんあったのならそれでなんとかなっていたのだろうか。それはお金があった人生になったことがないのでわからない。

信じるものは救われるという言葉があるが、それを信じた結果、俺はただの「何かを信じて生きている人」になってしまった。悲しい運命かも知れない。決まっていたことなのかも知れない。「こうはなりたくなかった」というような人間になってしまった。

青春というものがある。生まれてきて青春時代というものがあったのか、おそらくない。楽しい時間はたくさんあったが、思い出とはすでに離別しており、つまらない日常と悩みだけが残っている。悩みと言ってもそれは金のことばかりで、誰々が好きとか嫌いとかそういう類の楽しい悩み(傍から見れば楽しい、思い出だとしても楽しいでしょう)ではない。そういうことを考えて、悩んでという楽しかった時間は俺にとっては「3年間」ほどしかなかった。大人になったのかも知れない。こうして嫌なことをしっかり見つめれるようになったのは。

そのような進歩が他にも見られる。幸せの兆候かも知れない。俺は俺を知ろうとして書いている。これも進歩のうちの一つ。俺というアカウントから発せられる文章は現実の俺を知っている人は知らないだろうし、もっと言ってしまえばこのブログのことなんか誰も知らない。それでも俺はインターネット上に自分の弱みをさらけ出すような真似はしないようにしていた。それを「強がっていた」こととし、俺はこうして悲しい文章を今、インターネット上にアップロードしようとしている。これは俺にとっての進歩だ。

もっと自由に毎日を暮らしていければとも思うが、自由になるためには何が必要なのか。お金が全てということではないが、お金は必要である。そしてやはりお金を作るべく労働することは常である。労働が義務であるということで働くことしか残されていない現代社会において、労働自体が非常に困難な状態に陥っている人たちはたくさんいる。そういう人たちを救済することは出来ないのだろうか。

むしろ働いたことが結果として労働を困難にさせたという事例もたくさんあるだろう。そして働けなくなった人たちはどうすれば良いのか。俺にはわからない。

幸せに、自由に、ということを求める人はいつもつらい目に遭う。それは歴史的に見てもそうだ。芸術が評価されて芸術がお金になった時代でも食べていける人もいればそうではない人たちもいた。そんな食べていけない人たちをどう考えるか。食えなくても頑張って作品を作り続けたという良い方向での携えかたになるのか、それとも働かないで芸術なんて飯の種にもならんものに精を出した馬鹿者と評価するのか。俺は頑張って作品を作り続けた人たちだと思う。

自分もそういう風になれればと思ったが、それよりもまず本当に重要なことはお金がないと俺も食えないし、俺のそばにいてくれる人にも申し訳ないと思ってしまう。これはいわゆる負のスパイラルではないのかと考えたのはかなり前のことだったが、どうにかこうにかそれをごまかしながらも生きてきた。

そろそろ限界が訪れようとしている。俺はやはり自分の人生をまっとうしたいという気持ちが強い。芸術家になりたいわけではない。俺は俺でありたいという気持ちだ。それを大事にしてこれから毎日を過ごしていきたい。そうするしかないし、そういう気持ちで生きていたらもしかすると報われるかも知れない。報われないということもある。なるべくなら報われるように努力したいと思う。

特別に何か書きたかったということはまったくない。ただ、俺は久々にパソコンの前に座る時間が出来たので、思い切りキーボードを叩いてみたかったのだ。終わる。