あの日にかえりたい


自動車学校に行った帰り、なにかどうしようもない気持ちになったので昔住んでいた辺りを散歩した。すると、街並みはそれほど変わっていなくたくさんの思い出がフラッシュバックされた。友人と自転車に乗って遊んでいたとき、突然友人がおしっこを漏らしたことなど、それを友人のお母さんに(そのときお母さんはマンションのベランダに居た)向かって大声で報告したことなど、とんでもない勢いでそのお母さんに怒られたことなど、おしっこ漏らしたのはあいつだから俺は悪くないなのにどうして俺が怒られているのだろうと思ったことなど、全てはいい思い出。あの日見た空が思い出に変わる…。

なんてことを思いながらとてつもない感傷に浸っていたわけだが、よくよく見るとそこにあったはずの建物がなくなっていた。その建物とは少年鑑別所である。思わず「少年鑑別所である」とか書いちゃったけども、特に思い入れはないんだよ。ただ、昔からあったものがなくなっているということに対してどうしようもない何かが湧き出てきたもので書くに至ったのだ。あの近辺に昔から住んでる人にしてみれば、そんな物騒な気がする建物がなくなってよかったのかも知れない。だけども、もし、その少年鑑別所に入れられたことのある当時の少年が今日の俺のように思い出に浸るべくやってきた際にはどう思うのだろうか。忌まわしい記憶、そう思うのは少年鑑別所に入ったこともないし、そういうところに入ったやつはどうしようもないバカとかいう風に思っている人だけで、あの日の少年は大人になってから自分を見つめなおして、見つめなおした上でかつて入れられていた鑑別所を訪ね、「こんなこともあったな」というように感傷に浸るのではないか。やはりそう思うと、少年鑑別所も立派な思い出の場所であり、何かを考えさせる場所だったのだと認識する。別に俺は少年鑑別所に入っていたわけではない。少年鑑別所に入るほどの悪さを仕出かしたやつのことを良く思っているわけでもない。あくまで予想とか理想の域だ。

なんだかんだ言って、思い出っていうのはいつまでも大切にして行かなきゃダメな気がするよ。こうして文章を打っている時間も、やがては大切な思い出になるんだろうな。あと、最近はてなダイアリーのほうを更新しようとすると、すぐうんこしたくなる。更新しようと思ってもうんこをしたくならなかった、あの日にかえりたい。